仏教と引き寄せについて書きます。
かなりおかしな、勝手な考えかも知れませんが、書いてみますね。
仏教とは?
まず、仏教について定義します。このブログでの勝手な定義だと思ってください。
仏教というのは、お釈迦様の宇宙観で、「宇宙とはこうだったんだ!」と宇宙の実情がわかったというのが悟りです。
宇宙とは?
それで、宇宙が一体どんなだったのか? と言いますと、「宇宙とは1箇(いっこ)のものである」ということです。
私たち人間は、宇宙という大きな空間の中に、一人一人別々に存在していると勘違いしていますが、実は、私たちは渾然一体となった「ただ一つのもの」で、どうやっても切れることはないと。
どんな風に一つになっているか?
それで、どんな風に一つになっているかと言うと、私たちの意識は、第9識で1つに繋がっているらしいです。
第1〜6識:眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識
第7識:自分が自分がといつでも考えている意識
それで、死んで無くなるのは第1〜7識だけ、その奥に、
第8識:何もかも記憶して忘れない潜在意識で、因果を生み出したりもする。
第9識:全てのものと繋がっている意識
みたいな仕組みになっているらしいです。
放ったものがかえってくる
それで、自分が放ったものがかえってくるのだそうです。
しかも、1つのものですから、意識の上では一瞬で宇宙の果てまで飛ぶこともあるそうです。
科学の力を超えた働きなので、人間のアタマには理解できませんが、因果の関係はかなりストレートに「こうしたらこうなる」と決まっているそうです。
といっても、変なインチキな神が決めたとかいうものではなく、「こうしたらこうなる」と作用する、と言った方がいいかも知れません。
「こうするとこう返ってくる」という「こうする」がわかると、まさに欲しいものが返ってくる、引き寄せられるのだと思われるのです。
仏教を、お釈迦様の宇宙観を、宇宙は一つものだということを真実とするなら、…私は真実だと思っていますが…仏教の因果応報というのは、まさに引き寄せの法則だと思うのです。
今は結果を受け取っている
今現在は、私たちはそれぞれ過去の何かしらの結果を受け取りながら生きています。
というよりも、私たちの存在ですら結果そのものです。
仏教では三時の業というのがあって、その結果は生きているうちに受け取るもの、来生で受け取るもの、さらにもっと先で受け取るものとあるそうです。
別の言い方をすれば、今私たちが受け取っている何かしらの結果は、ついさっきやったことに対する結果かも知れないし、前世の因縁かも知れない。
またはもっと前の過去生からの因縁かも知れない。
そして、因縁というのは、何も悪いことばかりじゃなく、良いこともなんともないこともなんでも因果なのだということです。
悪いことばかりしているのに、いつも運がいいのいう人は、前世での良いおこないの結果を今受け取っているのかも知れない、だから、そういう人を見て妬むのも違うということも言えます。
また、今悪いことをしているのだから、今世ずっと運がよかったとしても、次の生以降に悪い結果を受け取るに違いないとも言えます。
仏教は「因果が全て」と言います。
宇宙はただ一つもの、因果だけでできているということです。
引き寄せだけでできている、それが宇宙、と言い換えることもできます。
まとめ
そんな驚くべき宇宙の実態を、仏教は教えてくれています。
「こうすればこうなる」ことの全てを解明することはできないでしょう。
でも、「こうすればお金が入る」とか、何か自分の欲しいものに対して、確かなことが分かれば、引き寄せはとても簡単になるのではないかと、仏教を学びながら、下世話な私は思ったのです。
それにしても、宇宙の姿はあまりにも意外なものでした。
これに驚いて一時は仏教の本がマイブームでした。
でも、宇宙の仕組みに詳しくなったからと言って、欲しいものの引き寄せが上手くなるということはないです。
自動車の動く仕組みに詳しくなったからといって、車の運転ができる訳ではないからです。
それでは今回はこのへんで。