エイブラハムの教えは、引き寄せの法則に興味を持っている人にはとても有名らしい。
でも、私が知ったのはごく最近のこと。今日はちょっとエイブラハムについて書こうと思う。
エイブラハムで再び引き寄せに興味持った
実は引き寄せの法則に興味を持ち始めたのは10年以上も前のこと。
だけど、何だか良くわからなかったり、こんな不思議なものはマユツバかも? とか、または飽きたり、他の有名な引き寄せ本ではチンプンカンプンだったりしてしょっちゅう挫折してた。
でも、つい最近、エイブラハムの引き寄せを知って、私は再び引き寄せに興味を持ったんです。
「気分がよくなるように」というのがポイントらしい。
このことを知って、ちょっと驚いたのだ。
気分がよくなるようにとは、どういうこと?
それで、気分がよくなるように、とは、どういうことなのか、そのやり方みたいなのを読んで引き寄せへの興味と希望が湧いたんです。
いわゆるポジティブシンキングというのとは、違ったことに驚きました。
もしかすると、ポジティブシンキングという言葉の雰囲気で、私が理解できなかっただけかも知れませんが。
その瞬間瞬間、より気分が良くなる考えを選んでいくということのようですが、「これならば分かる」「これならばできそう」「これならば本当に気分が良くなる」と感じました。
ポジティブシンキングとの違い
以前私が行っていたポジティブシンキングと、このエイブラハムの「気分が良くなる思考を選ぶ」ということとの違いをもう少しちゃんと書きます。
まず、ポジティブシンキングの場合、例えば、何か嫌なことが起こった時、その事件を良いように解釈してしまうということがあります。
上司に怒られても、「これは愛のムチだ、ありがたい!」とか思うようにするということです。
(私の誤解に過ぎなかったかも知れませんが。)
これは実に苦しいことです。本当は殴られたら痛いし悔しいわけですから。
その苦しいという自分の感情にフタをして、「怒っちゃいけない」「泣いちゃいけない」「ネガティブは良くない」「ポジティブにしなくちゃ」「感謝が大事だから怒られたことにも感謝しなくちゃ」とかなっていきます。
怒った上司に注意を向けたまま、自分のネガティブを無理やりポジティブにねじ曲げるだけです。
でも、エイブラハムの「気分が良くなる思考を選ぶ」というのは、まず根本的に違います。
怒られて悔しい等というのはそれはそれ。この悔しさや怒りにはフタをしないわけです。
でも、だからと言って、いつまでも上司に注目して悔しがったり怒ったり、または上司を変えようとしたりしないのです。
怒った上司についてはそのままそこに置いておく。放置プレイは上司の問題だ、という意味でも必要なことです。
ただ、ここでもちょっとポイントがあって、「放置」と「無視」はちょっと違うということもあります。
「放置」は、一応「ある」と認めた上で放っておく。「無視」はあったことをなかったことにしようとして否定すること、と、私は理解しておきます。
そして、上司のことは眼中から追い出し、上手くいっている(別の)ことに注目して良い気分になるということです。
エイブラハムの教えで気分がよくなった
エイブラハムの教えのやり方で、私は、実際、すぐに気分が良くなることを実感しました。
友達と喧嘩してしまったとして、以前なら、喧嘩した友達のことばかり考えて気分を悪くしていました。
ポジティブシンキングなら喧嘩した友達のことばかり考えながら無理やりポジティブシンキングするのです。
でも、エイブラハムの教えでは、喧嘩した友達のことは放っておいて、自力で自分一人で何か順調なことを見つけて「少しだけ今よりもホッとする」で良いのです。
友達との関係は上手くいっていないわけだからそれへの注目はネガティブだろうが無理やりポジティブだろうが止めるのです。
もし、仕事が順調なら、「友達とは上手くいってないけど、自分には仕事がある」とか考えて「少しだけホッとしてみる」のです。
友達Aとは喧嘩しちゃったけど、友達Bとは上手くいっていると考えて「少しだけホッとしてみる」ということをやっていくというわけです。
変な話、そうやって切り替えただけで、すぐに幸せであることに気づいたりもします。
終わりに
今日書いたことは、これはまた、私の勝手な理解に過ぎないかも知れません。
でも、それはそれで良しとします。
勝手な理解に過ぎないとはいえ、すでに私は気分が良いからです。