他人を愛する前に自分を愛することに決めました。
引き寄せに関する本とか読んでいると、「人のために」ということが書いてあったりします。
でも、多分、「人のために」ということが本当の意味で出来るためには、まず「自分のために」という段階を通過しないとその領域に進めないのではないかと思います。
人のことを考えるとフリーズ
例えばお金の引き寄せ。
独り占めはいけないとか、誰かのために稼ぐといいとか、愛するお客様のために真剣に仕事をした結果お金が入ってくるとか。
こういうことを読んでいると、とても萎縮してしまう私。
「そっか、私は自分のことばっかり考えているからダメなんだ。」と。
それでいつもここでストップしていました。
ちょっと収入が減ると、「やっぱり相手に分け与えたいという気持ちが足りないからなんだなあ。」とか思ってしまいます。
でも、いつもここでストップしていました。
そして、いつもいつも、「自分は人に愛が足りないからダメなんだ。」と。
それで永遠にフリーズしたまま。
別の方向へ思考を発展させてみたい
でも、人はともかく、「欲しい」のは「私」。
もしかすると、「欲しい私」を認めてあげてないのが原因だと思った方がいいのではないかと。
自分は欲しいものがあります。
それなのにそれをゲットすることを遠慮してたりします。
遠慮しなくて良いのだというところからスタートした方が良いのだと考えを変えてみたいと思います。
人のために自分を犠牲にしない
これは、人のために自分を犠牲にしないということです。
私は自分の欲しいものを我慢して、手に入れるのは禁止しておきながら、人にお金をあげようとしていました。
この思考回路というか、自動的な反応があります。
自分は満足していないのに、人に何かあげなければならないとしたら、とても苦しくなります。
とてもお腹が空いているのに、自分では食べないで人にあげることばかり考えていたら、飢え死にしてしまうでしょう。
終わりに
まず与えるべきは自分からです。
宇宙が一つなら、元々、自分と他人を分けるのはおかしいです。
自分だけが良くて、他人はどうでもいいというのはわがままだと思われがちですが、そうではなくて、近しい家族と言えども、食べるということは本人にしかできないことです。
お腹がいっぱいなら食べないでしょう、いくら与えても。
そして、自分に与えないということは、宇宙の一部である自分自身を傷つけているということにもなります。
自分も宇宙の一部なんです。
自分を傷つけるのは、宇宙を傷つけることと同じです。
私は、もっともっと、自分を愛するべきなんです。
足りなくなるのは人に与えないからではなく、自分に与える、自分を愛する、自分に許可するということがまだまだ足りないんです。
満足することに罪悪感を感じちゃったりしている自分にふと気づくことがあります。
そういうのどんどん気付いたら手放したいです。
この記事を書いていて、自分の心=内臓が、ちょっとホカホカと暖かくなり、緩んで、活性化されてきたみたいです。